W-TWENTY FOUR- 24-3-T

2004年5月

マスコミへの露出という点では活動期間24ヶ月の中でもっとも多い月だっと言える。
今振り返ると世間へアピールしたという点ではこの月が残念ながら早くもピークだった。
5月2日さいたまスーパーアリーナでミニモニ。活動休止、モーニング娘。としての最後のツアーという
大仕事を終え、遂にWとして本格的に動き始める。
5月7日全国放送での「恋のバカンス」初披露は「ミュージックステーション」であった。(詳細)
以前から2人にはまったく歯が立たずいつもメロメロだった司会のタモリ。
案の定、終始にやけ顔で楽しそうに2人とトークを交わしていた。
2人が画面に映るだけで場の空気を変えることができる、
WでのTV出演を見るたびにそれが改めて再確認できた。
 

Mステ当日に2人は別の新たな仕事も行っていた。
驚異の大恐竜博・イメージキャラクター発表会」。
当日の会見にはモー神通信のTK氏が記者として参加しており、その模様がここに詳しく記述されている。
確かに大きな仕事として喜ばしいことではあったが、違和感を感じたのも事実。
当時の亜依國でもこの仕事に関してほとんど触れてないのはその違和感があったから。
このようなキャラクター的な仕事をいとも簡単にこなしてしまうのも2人の魅力であり、
日本中で探しても2人以上にこの仕事をこなせる人物は見当たらない。
ただどうしてもこのような仕事で2人が消費されていくことへの危機感というか、
歌手としての本業への影響というものを危惧していた。
この仕事をやった事が次に映画「ゴジラ」出演への伏線だろうと思うことが、
自分自身なんとかこの仕事を肯定する材料ではあった。

 

Mステ翌日の5月8日。2chを中心にある話題が飛び出してきた。

「WのツアーにはBerryz工房が同行」

夏か秋にWとしてライブが行われるという情報は某所から入手していたが、
この一報を聞いた時は目の前が真っ暗になった。
Wの短い活動期間の間、常に悩まされ続けた問題が活動当初のこの時点ですでに始まる事となる。

この一報を聞いた時に私はこのように記述している。(「亜依國精神」過去ログより)

ベリーズは今後のハロプロを考える上で、なんとか盛り上げないといけないって事は
分かりますけどね。
事務所必死なのは理解してるし。
組み合わせるのには一番Wが適してると思われたんだろうし。
そのためにはWが力貸してあげないとアカンってことなんだろうけど・・・。


A:力貸しすぎて、仲間がたくさん持ってかれました。

Wと一緒に廻ることによって、メンバーにとっては勉強になることもあるとは思うけど。
恐らくライブに参加するW推し、ベリーズ推しは相手側のCDって買わないでしょ?
アルバムがそれぞれ出るけど、両方ちゃんと買って曲覚えて来る人ってのは
限りなく少ない気がするんですよね。
ライブ見て曲気に入ったからってCD買うような健全なファンが居るとも思えないし(w
間違いなくライブ中に温度差は出ますよ。


A:W推しはCDだけじゃなく写真やグッズもいっぱい買って健全なベリーズファンになりました。

まあこんな形にされてしまったのも、W純粋戦士並びにベリーズ純粋戦士のみだと
お互い会場が埋まらないと事務所に舐められてんだとするなら
今回のツアーを全部ソールドアウトにして、バラバラにしとけば倍儲かったのにバーカ!って
事務所に分からせるしかないね。


A:成功しちゃったんで翌年も同じことされました。

決められちゃったからには、このライブを盛り上げるように頑張りますよ。
ベリーズのCDだってちゃんと買うし、ライブまでには名前も覚えます。
ベリーズだって嫌いじゃないし、別腹の梨沙子で満腹にならないように頑張りますよ(w
なんだかんだ文句言ったって、Wのライブが見れることには変わりないんだから、
あんま贅沢は言わないでおきますよ。先は長いからね、焦っちゃいけねぇーってことで。


A:先は短かったです。焦るべきでした。


ハロプロにとって次の時代を担う大事なユニット、それはWではなくBerryz工房。
当時の事務所関係者の間では間違いなくその認識があった。
翌年、Wよりも先にBerryz工房が単独ツアーをやる事になるのだが、
その時の事務所関係者の言葉を聞いた時に愕然としたのを覚えている。

「順番なんで。Berryz工房が優先だからさ。Wはまだ先かな。」